はいたい!『うむい沖縄』管理人の、うむいちゃんです。
この記事は、ちょっとだけ真面目なお話。いや、真面目というか……「物語」を聞いてほしいわけさぁ。
沖縄の人がどうしてこんなにヤギ(ヒージャー)を愛しているのか。
ただ「美味しいから」だけじゃないんです。
そこには、涙なしでは語れない、先人たちの苦労と、命をつなぐドラマがあったんですよ……(ここで既にハンカチを取り出す)。
今回は、教科書には載っていない、でもウチナーンチュ(沖縄の人)のDNAに刻まれた「ヤギと歩んだ沖縄の歴史」について、うむいちゃんが愛と涙と少しの狂気(?)を込めて語ります!
琉球王国から続く「ヒージャー」の歴史と環境適応
大交易時代に海を渡ってきた「生きた食料」
みんな、ヤギって最初から沖縄にいたわけじゃないって知ってました?
実はね、15世紀ごろの「大交易時代」に、中国や東南アジアから海を渡ってやってきたと言われているんです。
想像してみて……。
小さな木の船で、荒波を超えてくるヤギたちの姿を。
揺れる船の上で、「メェ〜(怖いよ〜)」って鳴きながら、遠い異国・琉球へ運ばれてきたんですよ?
もう、その健気な姿を想像しただけで、うむいちゃん涙が止まらないよぉ……っ!(号泣)
牛だと大きすぎて船に乗せるのが大変だけど、ヤギなら小さいし、何でも食べるから船旅にも耐えられた。まさに、彼らは命がけの航海を生き抜いた「冒険家」だったわけさぁ。
なぜヤギだったのか?島国ならではの「粗食耐性」

沖縄って、サンゴ礁が隆起してできた島が多いから、決して豊かな牧草地ばかりじゃないんです。岩場も多いし、平らな土地は貴重な畑に使いたい。
そこで輝いたのが、我らがヒージャーですよ!
豚ちゃん(ウヮー)も大事な家畜だけど、彼らは人間と同じような芋や穀物を食べるでしょ? 昔の食料が少ない時代には、人間と食べ物の取り合いになっちゃうこともあったの。
でも、ヤギは違います。
人間が食べられない硬い雑草や、木の葉、樹皮までバリバリ食べちゃう!
「あ、それ食べんの!? え、そこもいく!?」 っていうあの食欲!
あの貪欲な咀嚼音……ふふっ、最高に愛おしいよねぇ(ちょっと目が据わる)。
断崖絶壁でも平気な顔して登って、誰の世話にもならずに勝手に育つ。この「手のかからなさ」が、沖縄の風土にカチッとハマったんです。あきさみよー(あらまぁ)、なんて賢い生き物なんでしょう!
戦後の沖縄を救った「貧者の牛」としてのヤギの歴史
焼け野原のタンパク源
ここからが、ハンカチ必須のパートです。
1945年、沖縄戦で島は焼け野原になりました。家も、畑も、家畜も、すべてが失われてしまった。
戦後の何もない時代、人々は飢えていました。
そんな時、庶民の命をつないだのがヤギだったんです。
世界的には「貧者の牛」なんて呼ばれることもあるけど、これは決して悪口じゃないよ。
牛を買うお金がない貧しい人たちにとって、ミルクと肉を与えてくれるヤギは、まさに「救世主」だったということ。
牛は農耕用の労働力だから簡単には食べられない。豚は飼料がないと育たない。
でもヤギは、焼け跡に生えたペンペン草を食べて、私たちに命(ミルクと肉)を分けてくれたんです。
おじいちゃんやおばあちゃんが生き延びられたのは、ヒージャーがいたから……。
ううっ……ヒージャー、あんたって子は……本当に……っ!(嗚咽)
昭和30年代のピークと生活風景
戦後復興が進む昭和30年代頃、沖縄のヤギ飼育数はピークを迎えます。
当時はどこの家の軒先にもヤギが繋がれていて、「メェ〜」という声が生活の一部だったんだって。
でもね、高度経済成長とともに、輸入肉が入ってきたり、お世話する人が減ったりして、数は減っていきました。
それでも! 日本本土ではほとんど見られなくなってしまったヤギ食文化が、沖縄では消えなかった。
それは単なる「食料」以上の、魂の結びつきがあったからなんだはずねぇ。
「ヌチグスイ(命の薬)」としての効能と「潰す」文化
ヒージャーグスイの思想と効能

沖縄には「ヌチグスイ(命の薬)」という言葉があります。
美味しいものを食べて心身を癒やすことなんだけど、ヤギ汁は別格。「ヒージャーグスイ(ヤギ薬)」って呼ばれるくらいだからね!
- 疲れたお父さんのスタミナ回復に
- 出産したお母さんの体力回復に
- 冷え性の改善に
あの強烈な臭いこそが「効く」証拠!
「この臭いスープを飲めば、明日も戦える!」っていう精神的なドーピング効果がすごいのよ。
もちろん、これは精神論だけのお話ではありません。実は管理栄養士の視点から見ても、ヤギ肉は驚くべき栄養価を秘めた「最強の赤身肉」なんです。
「ヒージャーグスイ」の科学|ヤギ肉のカロリーと栄養価を徹底解説
食べてる時のおじさんたちの顔見たことある?
汗だくになって、顔を真っ赤にして、フーフー言いながら肉にかぶりつくあの野性的な姿!
「生きてる!」って感じがして、うむいちゃん、あの光景だけでご飯3杯はいけるさぁ!(※ヤギ汁をおかずにご飯を食べるという意味ではありません)
共同体の絆を深める「潰す」という儀式
昔は、ヤギはお店で食べるものじゃなくて、親戚や近所の人みんなで「潰す(屠殺・解体する)」ものでした。
これは男たちの神聖な儀式。
誰が捕まえるか、誰がナイフを入れるか、誰が皮を剥ぐか。熟練のオジァ(おじさん)が若者に技術を教えながら、命をいただく責任を共有するんです。
そして、新鮮な血を使った「チーイリチー(血イリチー)」や、大鍋で煮込んだ汁をみんなで囲む。
「スラブ打ち(家の上棟式)」や「トゥシビー(生年祝い)」には欠かせないご馳走。
ヤギの臭いを共有することで、「俺たちは同じ釜の飯を食った仲間だ!」っていう、断ち切れない絆が生まれるわけさぁ。
地域で違うヤギの顔 | 沖縄本島「ヒージャー」と宮古島「ピンザ」
名前だけじゃない?「ピンザ」に込められた宮古島の魂
沖縄本島では「ヒージャー(髭のあるもの)」って呼ぶけど、宮古島に行くと「ピンザ」って呼ばれます。
響きがなんか可愛くない? ピンザ♪
でも、宮古の人にとってのピンザは、もっと切実で温かいもの。
宮古島では、子供が小学校に入学する時に「一年生のお祝い」としてピンザを潰して食べる風習があったんだって。
ランドセル背負ったピカピカの一年生と、お祝いのピンザ。
……もうダメ、想像しただけで涙腺崩壊! 成長を祝う愛が深すぎるよ宮古島!!
本島の「塩」と宮古の「味噌」?味付けのミステリー
一般的に、沖縄本島のヤギ汁は「塩味」ベースが主流。
でも、宮古島や八重山の方に行くと、「味噌味」で煮込む文化があるんです。
これはね、地域ごとの「臭い」に対する向き合い方の違いかもしれない。
宮古島の人は、昔から家庭ごとにこだわりの飼い方や処理の仕方があったから、お店で食べるよりも「家の味」が強かったみたい。
だから今でも、宮古島には「ヤギ料理専門店」が本島ほど多くないの。
「よそ様のヤギより、うちのオジィが潰したピンザが一番さ!」 っていうプライドを感じるよねぇ。かっこいいさぁ!
現代のヤギ食事情|選挙の必須アイテムから観光資源へ
選挙事務所とヤギ汁の切っても切れない関係

これは沖縄あるあるなんだけど、「選挙といえばヤギ汁」!
これ、笑い話じゃなくて本当の話(笑)。
選挙事務所の決起集会とかで、支持者にヤギ汁が振る舞われることが昔はよくあったの。
あの強烈なエネルギーの塊を食べると、運動員のみなさんが「よっしゃー! 当選させるぞー!」って、目の色が変わるわけ!
闘争本能に火をつけるガソリンみたいなものね。
(※今は法律が厳しいから、昔みたいに誰にでもバンバン振る舞うのは難しいけど、そのスピリットは残ってるはず!)
あの独特の獣臭が漂う選挙事務所……想像するとちょっとシュールだけど、それも含めて沖縄の熱い民主主義って感じで、うむいちゃんは大好きなエピソードさぁ。クスクス、思い出し笑いしちゃう。
「でも、やっぱりあの臭いが不安…」という方も大丈夫。実は、お店選びと食べ方次第で、驚くほど美味しく食べられるんですよ。
レトルトからおしゃれメニューへ
そして今、ヤギ食文化は新しいステージへ!
昔ながらの「臭い・硬い」だけじゃなくて、石垣島のように品種改良して臭みを抑えたヤギ肉や、おしゃれな「ヤギ刺し」「ヤギボロネーゼ」なんてメニューも出てきました。
スーパーに行けば、レトルトの「山羊汁」も売ってるしね。
時代が変わっても、形が変わっても。
沖縄の人がヤギを愛する心は変わりません。
歴史を知ると、ただの「臭い肉」が愛おしく見えてきませんか? 実際に沖縄でヤギ料理に挑戦してみたい! と思った方は、失敗しないお店選びやメニューの種類をまとめた完全ガイドをチェックしてくださいね。
まとめ
どうでしたか?
ただの「臭い肉」だと思ってたヤギが、ちょっと違って見えてきたでしょ?
大交易時代の冒険者で、戦後の救世主で、みんなの絆をつなぐ接着剤。
次に沖縄でヤギ料理を食べる時は、ぜひこの歴史を思い出して噛み締めてください。
その一口には、数百年分のウチナーンチュの「想い(うむい)」が詰まってるんですから。
……あぁ、話してたらまた泣けてきたし、お腹も空いてきちゃった。
またやーさい!(また会いましょうね!)


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